kokoro 日本の心

単なる雑記です。

検疫生活11日目 日本とメキシコの仕事についての違い

こんにちは

メキシコの子会社で勤務している間は、これでも社長だったのであれこれと細かな実務をやると言うことで忙しいという訳ではなかったが、各部門の状況を細かく掴んで意思決定し、指示を出す仕事が多かった。指示を出して結果を検証する、結果がダメならさらに指示を出す。指示を出した人ができなければ別の人にやってもらう、担当が出来なければその上司に指示する、それでダメなら最後は自分でやる。自分で自分の出した指示ができなければ、「こりゃーちょっと難しかったか」とあきらめるか、やり方を変えるか等、決めなければならない。これの繰り返しである。事務作業で身体が疲れるということはあまりなかったが、何事も心配が先に立ち、指示した後もちゃんとやってくれているだろうか、時間通りにできるだろうか、できないで悩んでいるのではないだろうかと何かと気疲れする。日本で仕事をしていた時は事業部で上司が何階層もいて、他部門の人も含めてあれやこれやうるさく言ってくる。その傘下に海外販売会社があり、ひとつ何かを決めるにしても何かと社内調整が大変だった。そのために資料をたくさん作成しなければならず深夜までデータ分析や資料作成に追われて一日の睡眠時間が4~5時間が何日も続くこともあり本当に疲弊してしまった。そうやって過去に苦労した仕事が今は実を結ばず消えていたりする。むなしいものである。今から考えるとアホらしい仕事をしていたというか、あれだけ仕事(資料作成)したのは何だったんだろういう気がする。おかげでパソコンでの資料作成は各段にうまくなったが。現在50代くらいの昔の世代の日本人の場合、会社、仕事が生活、人生の中心になっている。私自身、今までそうであった。一方メキシコ人の場合はまったく違う。自分でビジネスをしている人を除く大多数の被雇用者の優先順位は、まず人生を楽しむと言うことであり、そして家族と過ごす時間、友人との付き合い、最後に仕事となる。仕事の優先順位は低い。しかし欧米人と違い、時間になったら仕事を終えてさっさと帰宅するというドライすぎる割り切りでもなく、その日にやらなければならないことは残業してでもやってくれる。 仕事が好きだとか嫌いだとかいう感情的な部分も多いのだが、いつクビになるかという恐怖心もあると思う。メキシコでは労働契約の解消は比較的自由で、法定で決められた退職金をきちっと払えば「おまえ出来悪いので明日からクビ、もう来なくていいよ」ということが可能である。(労働市場は流動的なので、逆に「明日やめます、もっと良い給料をくれる会社の採用面接に通ったので」ということももちろん多い。)もし指示されてもいないことを勝手にやって失敗したら、上司の逆鱗に触れてすぐにクビになるかも知れないし、やはりクビになると退職金をもらうとは言え、次の仕事も探すのも大変だし、家族も収入なくなり困るので、基本的にクビになりたくない、指示待ちの仕事をしていたら安全だと思うのであろう。日本だと部下が仕事熱心で、あれこれ考えて上司にこうすれば良いと思います。こうしましょう、こうやらせてください」というボトムアップの面があるがメキシコではあまりない。「言われたことはやってますよ、何か他に御用は?ご主人様」である。問題があってもなかなか言わない、言うと自分のせいにされるかも知れないし自分が無能だと思われクビを切られるかも知れない、それにどう解決すれば良いかわからないのでしばらく抱えたままになり、上司が気付いた時には手遅れになっているというようなことが多々ある。したがって日常的に「問題点とその対策案を自分なりに考えて出せ」と指示して、その対策案に対してまた「これではダメ、こうしなさい」とか「この案で良いのでいつまでにやれ」とか指示をする。こうやらないと日本のようにボトムアップで問題は部下が解決してくれるというようなことはないのである。で、前述のように生活を楽しむのが第一優先である。お金が少したまるとさっさと休みを取ってカンクンなどのホテルに行って飲んだり、踊ったりして楽しんでいる。みんな貯金などほぼしていない。貯金しても通貨価値はどんどん悪化して物価は上がっていくので使った方が有益だし、貯金して老後に備えても、政治も経済もいつどうなるかわからないので今使って楽しんだほうが良い。年金も雀の涙くらいしか出ないし老後の心配しても仕方がない。なるようになるだろうと考える。政府などまったく信用していないし、当てにならないから家族の結束は固い。既婚者の場合、家族をおいて単身赴任などをすることはまず考えられない。もし強行すれば離婚の原因である。週末は毎週、どちらかの実家で両親と過ごすことが習慣である。貧しい人ほど兄弟、いとこ、おじ、おば、両親、じじばば含めて家族全員で集まって住んでいる。10人家族で住んでいるなど普通である。自分が失業しても兄弟の誰かが仕事があれば全員食っていけるからである。そういう貧しい人でもたまに車を借りて旅行に行ったりして人生を楽しむ。ただ先住民のように本当に本当の貧困層は、家に電気もないし、今日の食べるものさえ困るというような生活を送っているのだが。で、最後に仕事がある。仕事は人生を楽しむため、そして家族を維持するためである。こういうメキシコ人の考え方はアステカ帝国がスペインに征服された1521年から長期間で形成されて来たのではなかろうか。被征服民は征服者に逆らえば殺される、死にたくなければ言われる通りにしなければならない。一度奴隷の地位となれば自分で上に這い上がろうとしても難しい、政治も経済も征服者だけのためのものであり、被征服者は搾取され続ける。このような環境が長く続けば性格にも影響を及ぼすに違いない。どうせ何やってもダメだ、いつ死ぬかわからない人生一度切り、今楽しまなければいつ楽しむ。仕事はほどほどに言われたことだけやっておこう、余計なことをして失敗すると征服者の怒りを買ってクビになるのでやめておこう。メキシコ人だけでなく同じ目に会えばどの民族だってそう考えるだろう。日本人だってもし日露戦争に負けて征服されひどい目に会っておれば、そうなっていたかも知れない。メキシコ人はラテン気質で明るい陽気な性格だと思われているが、それはパーティ等でテキーラ飲んだり、マリアッチで歌ったり踊ったりと思いっきり楽しむ姿を見ているからだが、本当は性格的には暗い影を背負っており、それは上記のような被征服民の悲惨な歴史から来るものなのである。

では今日はこのへんで。