神社本庁と金刀比羅宮の離脱
神社本庁という聞きなれない言葉を耳にしたので調べて見た。
本庁というからには官庁かと思ったのだが、そうではない。
名前が紛らわしいのだが、
神社本庁とは、伊勢神宮を本宗とし、日本各地の神社を包括する宗教法人である。
で、宗教法人って何?
宗教者と信者でつくる法人格を取得した宗教団体で全国で182千ほどもあるそうだ。
2009年の週刊ダイヤモンドによれば宗教法人のトップ3は
1位 神社本庁 信者数 68百万人
2位 幸福の科学 11百万人
3位 創価学会 8百万人
神道を信じている人の数って無茶苦茶多いだろうから1位が神社本庁で信者数68百万人というのはわかるが、幸福の科学ってこんなに信者がいるのか?
ちょっとびっくりさせられる。
神社本庁の概要は
<設立> 1946年(昭和21年)
<本部> 東京都代々木
<目的>
包括下の神社の管理、指導、神道の宣揚、祭祀の執行、信者の教化育成、本宗である
つまり、簡単に言うと全国の神社を管理する組織ということである。
全国に神社は8万社あり、79千社が神社本庁に加盟している大組織である。
こういう組織がないと8万社もの神社はなかなか管理できないであろうし、必要な組織だと思う。
しかし歴史的に見ると、明治から昭和、敗戦にかけて紆余曲折している。
<歴史>
1877年(明治10年)
内務省 社寺局設立
1890年(明治23年)
国民の信教の自由
神道は国家から宗教団体として公認
しかし神社は国家から宗教としてではなく国家祭祀を公的に行う位置づけとされた。
1899年(明治32年)
神社本庁の前身で、国家祭祀、祭式の形式を整えて行った。
1900年(明治33年)
内務省 社寺局 ⇒ 神社局と宗教局に分離
政府方針として神社は国家の宗祀だとして神社局を独立
1940年(昭和15年)
内務省 神社局 ⇒ 神祇院と名前を変える
1945年(昭和20年) 敗戦
GHQ ⇒ 自由の指令、神道指令、宗教法人令公布、神祇院廃止
*神道指令 = 信教の自由の確立、軍国主義の排除、国家神道を廃止、政教分離
つまり、GHQは個人の信仰は認めるが、太平洋戦争時に多くの国民を死に追いやった狂信的な国家神道は禁止し、政治と宗教の完全な分離を図った。
有無を言わさず神祇院を廃止した。
至極もっともな決断であり、それを素早く実行した。
1946年(昭和21年) 神社本庁設立
大日本神祇会、皇典議究所、神宮奉斎会の神社関係3団体が合同し、包括宗教法人として神社本庁設立し、全国の神社を統括することになった。
<設立趣旨>
全国神社の総意に基づき、本宗と仰ぐ皇大神宮のもとに全国神社を含む新団体を結成し、協力一致、神社本来の使命達成にまい進し、もって新日本の建設に寄与せんことを期す。
お稲荷様、八幡様、スサノオの命様など、やおろずの神と言うがごとく、神道には様々な信仰があるので教義は定めないこととした。
設立及び活動の精神は憲章と綱領に現れている。
1956年(昭和31年) 敬神生活の綱領
神道は天地悠久の大道であって、崇高なる精神を培い、太平を開くの基である。
(以下略)
1980年(昭和55年) 神社本庁憲章制定
第1条 神社本庁は伝統を重んじ、祭祀の振興と道義の昂揚を図り、以て大御代の彌榮を祈念し合わせて四海万邦の平安に寄与する。
設立の歴史、経緯、綱領、憲章を見ても非常に立派な背景だ。
GHQの関与に対して、日本人の神道に対する信仰を重んじ、政教を分離して神社を存続させたことは先人の立派な努力と知恵の結晶であると思う。
もし当時の関係者が米国人も含めて間違えた判断をしていたら日本人の日本人たる拠り所が失われていた可能性もあったと思う。
大変立派な組織なのである。
ところが、ここ数年、組織がガタガタしているのは残念だ。
つい先日も金刀比羅宮が神社本庁からの離脱を通知する書面を送付したと話題になっている。
神社本庁の不動産処分に対する疑惑、大嘗祭の関連行事に対する不信が原因だそうだ。
過去のごたごたはダイヤモンドオンラインが詳細に調べているのでそちらを見ればわかるが最近の出来事をざっとあげると
2017年 富岡八幡宮 離脱を決めた女性宮司が弟に刺殺される
2020年 愛知県神社庁 決議書提出
「神社本庁における一連の疑惑はもはや看過できない」
「最近のいろいろな疑惑は包括化の神社の名誉を著しく損ねる」
九州地区神社庁 コロナ危機管理対応で緊急提案書提出
以上のように、ここ3~4年で結構バズっている。
神社本庁の統理、総長、理事など役員は各神社の宮司さん等から専任されて運営に当たっているとのこと。
人間のやることなどで、いろいろと行き違い等もあろうかと思うが、当初の崇高な設立理念に基づいて、もしこれまで運営に不手際があったのであれば、ぜひ建て直してもらいたいものである。
信仰は弱い人間の拠り所であり、特に神様のおられる神社は常に我々の身近にあり神聖なもの、畏怖すべきものとして敬われている。
神社を司る人間と神様は別物だと思うが、それでも人間のごたごたした姿は見たくない。
ではまた。