桂枝雀を超える落語家はいない
私は大阪生まれの大阪育ちなので他の大阪人同様「笑い」には厳しい方だと思う。
2人で何か話をしていて、相手もしくはこちらが何かの話題を振り出す時は最後に落ちがないと落ち着かない。
落ちがないと、「なんやねんそれ?」である。
「落ちはいったい何やねん?」という意味である。
最後に落ちを言った時に「あはは、なんでやねん」とか「それあほちゃうか、しょーもな~」とかで笑ってくれたら大満足だし、ほっとするのである。
土曜日の昼は小学校から帰るとテレビで「吉本新喜劇」、その後、ちょっと大人っぽい「松竹新喜劇」の藤山寛美の芝居を見て育った。
藤山寛美ではギャグというより人情噺で笑いの中に人間の機微が表現されていて子供にも面白かった。
「高津の富」など古典落語からとったテーマもあった。
さて、その落語である。
落語に親しんだのは中学生くらいからだろうか。
図書館で落語の本(演目をそのまま書いてあるもの)を借りてきて読んだりしていた。
古典落語は、江戸、明治、大正時代で創作された落語のことで、音楽で言うクラシックのようなものであるから、ネタは決まっている。
聞いている方は最後の落ちまで大体分かっている。
なので演ずる人の話芸、技量がもろに出る。
クラシックでも指揮者と演奏者が違うと曲が全然違うのと同じである。
例えば「饅頭怖い」という落語は、みんなの集まりで順番に「怖いもんを言い合おう」となったのだが、ある男が饅頭が大好きなくせに「饅頭が怖い」とみんなに言う。
そいつは普段から嫌な奴だったので、その後、みんなで相談して、嫌なものをそいつの家に投げ込んでやろう。
それで困るところを見て笑ってやろうとたくらむのだが、大好きな饅頭がタダで手に入ったのだから、その男は大喜びでパクパク食う。
みんながっかりして、「ほんまに怖いもんはなんや?」とそいつに聞いたところ、
「今度は熱いお茶が怖い」というのが落ちである。
小学校から知っている噺であるが、桂枝雀が演ずるのを見るまで面白いとも何とも思わなかった。
枝雀は桂米朝の弟子である。
米朝は上方落語中興の祖と言われ、紫綬褒章、人間国宝、文化功労者、文化勲章、従三位等の受賞歴のあるお方である。
なるほど噺はうまい。
しかし笑いを取るというより伝統芸能の継承者、重鎮というような感じである。
一方、桂枝雀。
めちゃめちゃ面白い。
何が面白いのか自分でも良くわからないが、わかっているのだが、必ず同じところで笑ってしまう。
1979年に枝雀寄席がテレビでスタートした時から本格的に聴き始め、2020年の今では「枝雀落語」DVD全集も持っているのだが、何回視ても面白い。
残念ながら芸に打ち込むあまり重いうつ病を患ってしまい59歳と言う若さで亡くなられたのだが、もし生きておられたらもっと面白かったに違いない。
その後、いろいろな落語家の噺を視たり聴いたりしたが、未だに枝雀の噺のように笑える落語家は知らない。
大阪人は笑ってなんぼ、笑かしてなんぼなので、勲章なんかより笑いを取れる奴が一番エライのである。
では今日はこのへんで。
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