京都魔界伝説 小野小町は絶世の美人だったと言うけれど男から見れば美人とは?
こんにちは
今回は京都の魔界伝説ではないのだが、世界三大美人と言われた小野小町ははたしてどれだけ美人だったのかが気になったので調べてみた。
調べてみると小町はむちゃくちゃ謎につつまれている。
Wikipediaでは、平安時代前期9世紀頃の女流歌人、六歌仙、三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人とある。
有名な歌人でしかも超美人だったと言う。
どれだけ美人だったのだろう。
これは調べる前から期待が高まる。
絶世の美女だったとの伝説だが、しかし絵や彫像などは存在せず、後世に描かれた絵でも後ろ姿が大半を占める絵が多いとのこと。
後ろ姿が多いのは絶世の美女だったので下手に描けなかったらしい、それに後ろ姿の方が男性の想像力をかき立てるからということと、女性が嫉妬しないように後世の画家の配慮らしい。
ググってみるとこんな絵である。
黒髪も長いし十二単(じゅうにひとえ)のあでやかさもあって、なるほど後ろ姿の方が理想の美人顔を自ら創造できるので期待は高まる。
隠されると余計に高まる男のエロ心理は古今東西同じらしい。
なんと前を描いた姿もあった。
しかし、あ~しかしである。
これは残念、がっかり。
全然ドキっとこない!
後ろ姿の方が絶対美人だと思ってしまう。
平安美女は「しもぶくれ顔」が美人の基準とされて、今と美人の基準と違っていると言われているが、いやそれでもこう描いてしまうとあかんやん。
有村架純さんだって日本風のお顔立ちだけど、すごい美女なんですよ。
小野小町様が世界三大美女と言うなら、写真のない時代、前からの姿を描くなら気合入れて描いてくれよな~、まったく。
やっぱり絵だったら、前姿はこれくらいの美形を描いて欲しい。平安時代の画家たちよ。
かっ、かわいすぎる。
この絵が中学、高校の時に日本史か古文の教科書に載っていれば、もっと興味もって小野小町様のことを調べたのに。
男子生徒なんてしょせん、女性の容姿、肉体がすべてのエネルギーの源だってわからないのか? 教育委員会。
こっちは現代のアイドル小野小町。
着物をアレンジした衣装が素晴らしい
しかし元祖 小野小町。
謎と伝説だらけ。
そして後世にもっとも影響を与えている美女のようだ。
美人コンテストの優勝者にも〇〇小町という称号を与えたりするし、お米の「あきた小町」、東北、秋田新幹線の列車は「こまち」、秋田市の野球場は「こまちスタジアム」、京都市のミス小野小町コンテスト、そして3月18日は小町の忌日で小町忌として春の季語ともなっている。
謎その1
出自が不明確。
小野篁(たかむら)の孫とも娘ともいわれているが、前回のブログでは生没年を推定で下記のように紹介した。
篁が23歳の時に小野小町が生まれたことになり、孫というのはちょっと苦しい。
もし娘であれば、漢詩の素養があった才女であったというのもうなずける。
しかし確たることはわからない。
◎有名な遣隋使の小野妹子の子孫。
小野妹子 生年不明だが第一回遣隋使(607年)に派遣
小野篁 802年~853年
小野小町 825年~900年 (生没年不詳、篁の孫?、娘とも言われる)
一族には美人で有名な小野小町、書家の小野東風。
謎その2
出生地が不明。
ちょっと行ってみなあかんよね。
なんで平安美女が秋田生まれで、いつ京都に来たの?
晩年もそこで過ごしたらしい。
小野小町は秋田美人だったのか?
ほんとかどうか定かではなく、生まれ故郷は京都市山科、彦根市小野町、福井県越前市、福島県小野町、熊本県熊本市、神奈川県厚木市などの諸説がありはっきりしていない。
しかし小野氏は東北地方は陸奥の国にゆかりのある人が多く、小野篁(たかむら)も若い頃は東北地方にいたらしいので、つながらない話ではない。
謎その2
晩年は老婆になり不遇で乞食をしていたという説がある。
絶世の美女が晩年は醜い老婆になり乞食をして最後は野原で朽ち果てたという逸話はあまりにドラマティックな結末だ。
なぜそこまで困窮したのか?
美人だったらパトロンがいたはず。
謎その3
全国に小町のお墓がある。
前述の生誕地でもある秋田県湯沢市、宮城県大崎市、山形県米沢市など東北地方、愛知県あま市、京都府のいくつもの市、和歌山県和歌山市、鳥取県、岡山県、山口県など。
Wikipediaによると全部で16カ所の地名が紹介されている。
生まれた場所も不明なら亡くなった場所も不明。
いったいどこで死んだの?
謎その4
仕事は何をしていたのか?
小町は天皇の後宮に仕える女性だったのではないかという説がある。
同じように町という名で後宮に仕える「三条町」とか「三国町」という女性が知られているからだ。
後宮とは天皇の后が住まわれる場所であり、后に仕える女性を女房、女官と呼んだ。
小野の姉を小野町、妹を小町と呼んだのではなかろうかという説だ。
謎その5
なぜ生涯、独身だったのか。
小野小町の歌は恋の歌が多い。
恋の歌が多いので男嫌いとは思えない。
超美貌の持ち主なので言い寄る男どもをあしらいつつ、恋を楽しむうちに婚期を逃してしまったのだろうか?
深草少将の百夜通いの伝説など深草少将がむっちゃ可哀そうになる。
100夜目で死んでしまうなんて。
俺やったら化けて出るはず。
それとも小町は高貴な誰かにかなわぬ恋をしていたのだろうか?
代表的な作品
実に多くの和歌を詠んでおり古今和歌集などに掲載されているが、印象深いと思ったものを上げておく。
これはあまりにも有名。小野小町と言えばこの歌。
花の色は うつりにけりな いたずらに わが身世にふる ながめせしまに
桜の花の色は、むなしくも色あせてしまった、いろいろなことに思い悩んでいるうちに衰えてしまったわたしの美貌のように。
以下、甘い恋の歌。
思ひつつ 寝ればや 人の見えつらむ 夢と知りせば 覚めざりしものを
想いながら眠りについたので、あの人が夢に現れたの? もし夢とわかっていいたら覚めないようにしたのに。
いとせめて 恋しき時は むばたまの 夜の衣を かへしてぞ着る
どうしようもなく恋しいと思う時には、恋しい人に夢で逢えるように夜の衣を裏返して着て眠る。
秋の夜も 名のみなりけり 逢ふといへば 事ぞともなく 明けぬるものを
秋の夜が長いと言うが言葉だけだ、愛しいあの人に逢えれば何ということもなくあっと言う間に明けてしまう。
人に逢わむ 月のなきには 思ひおきて 胸はしり火に 心やけをり
愛しいあなたに逢う手立てがない夜には、起きていても胸を焦がす火に心が焼けて目がさえてしまう。
どうだろうか?
こういう歌を絶世の美女に詠ませる男は誰だったのだろう。
あ~うらやましい。
こういう際どい歌を美女に詠まれたら惚れざるを得ない。
女から見たらあざとい(笑)
小野小町が絶世の美人だったという伝説は単に容姿が優れていたという話だけではなかっただろう。
世の中の人がすべて認める容姿端麗に加えて教養があり、和歌にみるように色、艶があったはず。いい女だったのだ。
容姿だけでは男は惚れこんだりしないものだ。
完璧な容姿でなくとも、謎の魔性、少しミステリアスな存在に対しては男は非常に気になる。気になってしょうがない。
男は単純な生物なので、もし美女がこういう情熱的な恋の歌を詠んで嘘でも自分に送ってくれたら、それだけでもうメロメロである。
美女であればなおさら、でも、たとえあまり美女でなくても、恋は盲目、彼の眼には絶世の美女に映るのである。
小野小町はそういう男から見て絶対「いい女」だったのだろう。
だから絶世の美女の称号を得たのである。
ではまた。