kokoro 日本の心

単なる雑記です。

検疫生活6日目 大阪城大手門の謎の柱継ぎと職人技

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大阪城大手門の謎の柱継ぎ


こんにちは。

昨日の大阪城の話をもう少し。

城内を歩いていると面白いものを見つけた。大手門控え柱の柱継ぎである。柱の下部が経年劣化で腐食したため、修復の際に別の柱で継いであるのだが、パッと見てもどのように継いだのかわからない。謎の柱継ぎと長年呼ばれてきたそうだ。上の写真が実物の柱だが、継いでいる面を見ると、右側の面では木材が山型にカットされているのがわかる。だがその左側の面を見ると台形を逆にして上面に四角い切り込みを入れたカットがなされている。逆台形なので垂直方向に入れようとしてもはまらないし隣の山型のカットが横に入れようとしても邪魔をする。「これはどうやって入れたの?」、「なんでや?」と頭の中でいろいろと継ぎ方を考えさせられる。パズルが得意な人は下記の図解を見る前にぜひ挑戦してみて欲しい。調べてみると日本の古来建築の匠の技で、南北両面は「殺ぎ継ぎ」、東西面は「蟻継ぎ」という手法だそうだ。長年どうやって継いだのか大阪城の謎のひとつとされてきたのだが、1983年にX線検査をした際に構造がわかったそうだ。その際に同じく作った大工さんの名前までわかったそうである。答えは下記の図解のように上や横からハメるのではなく山型の角度に沿って斜めにスライドさせて継ぐのである。答えがわかってしまうと「なーんだ、そうか、簡単やん」ってなるのだが、X線で透視するまでわからないとは、これを施工した大工さんもしてやったりと思っているに違いない。考えて見れば柱の下部だけを取り換えなければならないわけで、上の柱は残ったままなので垂直方向に継ぐスペースはない。スライドさせて継ぐ方が理にかなっているようなのであるが、継いだ後に、縦、横、ななめに強度を保つためにこのような切り込みを入れたのであろう、そして何と言っても誰にもマネのできない職人技を見せたい、何か後世に「俺様の匠の技」を残したいという大工さんの想いがあったにちがいない。こういう職人達が日本にはいつからだろうか、いろいろな職業で存在していて職人技とか職人気質と言われる世界を醸成してきた。匠の世界であり、自分の技術を高めるとともに決して手を抜かない仕事をすることを誇りとしてきた。昔ながらの職業を例に上げると料理、建築、陶芸、刃物などの業界で職人技を発揮している人が多い。近代ではこういう職人さんたちが産業の発展に貢献してきた。近代産業である電気製品の開発、製造などでも職人技が必要とされてきた。実際昔のビデオレコーダーなどは今と違ってヘッドとテープの接する面積、角度とか精緻な職人技で開発、製造されていた。そういう匠の技、精神の伝承は師匠から弟子上司から部下、先輩から後輩へと連綿と引き継がれてきたのである。これがひとつの日本の強みである。電気製品などはIC技術の進化で誰でも作れるようになってしまい、容易に中国にマネされて安くて品質の良い商品を大量生産して世界の発展に貢献するという日本の株を奪われてしまったけれど、職人技、職人の精神は中国や韓国にはマネできないだろう。なぜなら奈良時代から数えても日本の匠の技には1000年以上の歴史がある。たとえ寺院の建築等で最初の技術が中国から渡来したものであったとしても、1000年の間、日本人は切磋琢磨して改善を加えるとともにその積み重ねで独自の技を開拓して磨いてきた歴史があるからだ。そういう技とか匠とかを好むのは言わば日本人の気質なのだと思う。だから例えば何を買うにしても安ければ良いという買い方はしない。品質の良いもの、デザインの優れたものを選ぶ。もちろん安いに越したことはないが。

You Tubeで「謎の柱継ぎ」を詳しく説明してくれているサイトがあるので興味のある方はどうぞ。

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継ぎ方の図解

 

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大阪城大手門